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縄文火焔型土器のルーツが会津にあった!?
2017/10/17
10/15西会津町にて「西会津町歴史文化講演会・シンポジウム」が開催されました。

西会津町には、7万㎡の広大な面積の集落跡・遺跡があります。
遺跡から縄文土器の代表的とも言える火焔型土器や王冠型土器など、「会津タイプ」と呼ばれる土器の破片が多数出土されており、その数、ダンボール2000個分なのだとか!

その縄文土器の代表格とも言える「火焔型土器」のルーツが会津にあるのでは!?
という内容のシンポジウムです。

縄文研究の第一人者の小林達雄氏を始めとする、その道の方々を迎え、
今回、「火焔型土器」のルーツが会津であったことが公認され、これまでの縄文史を覆す発表が行われたのです!

これまで、火焔型土器は北陸で多く出土され、ルーツは新潟県エリアと考えられてきました。
国宝である火焔型土器は、新潟県十日町の物であり、2020年のオリンピックの聖火台デザインに提案中とのことで
日本のルーツ、縄文文化を世に出されるかもしれないこのタイミングでの発表!
会津人にとって誇るべき事実かと思います!

その裏側には、一人の長い研究の努力がありました。
西会津に生まれ、全国の様々な土器研究に携わり、西会津で出土された土器を何十年も研究に人生を注いだ佐藤光義さんの努力された結果、このような発表に至りました。

新潟の土器は、会津タイプと比べより立体的、精密な造りで
会津にルーツがありながらも、より一層発展していった歴史の流れのようです。

更に注目したいのは、その地域性と、縄文時代の交流を追った“人の動き”です。

古くより新潟県からの水路、阿賀川(大川)を利用した交流は、
伝統的な会津の食文化を語る上で、どうしたって切り離せません。
例えば、代表的な郷土料理、「こづゆ」、「鰊の山椒漬け」はまさに、新潟からの海の恩恵を受けた証です。

更に昭和村の特産品、苧(からむし)は山を超えて新潟十日町で越後上布となり、地域資源を共に活用して発展しました。

このような縄文時代からあった交流は、一見聞けば当たり前のようですが
相互の地域の特性の関係があった上で、様々な発展をしてきたのだと思うと、実に興味深い話だと思います。

西会津の「ふるさと自慢館」で出土された土器の一部を見ることができますので是非ご覧になってみてください!
多くの方に、会津タイプの土器に興味を持ってもらえたら嬉しいです☆
  • 「芝草・小屋田遺跡 敷石住居跡」案内板